(昭和47年12月執筆) アメリカの自然保護、序章<はじめに>

 
序章
 
<はじめに>

 1970年代ほど人間と自然の問題が語られている時代はこれまでにないであろう。それだけ環境の破壊・汚染が進んできたと言うことができる。経済成長と工業発展に力を注ぎ、その結果出てくる不経済に無関心であったため、今その発展を手放しで喜ぶことができない状態になってきている。地球は単なる「宇宙船」にすぎず、限られた資源の中でどのように人類が今後も発展し、生存していくことができるかという大きな問題が突然目の前に現れてきたのである。
人々はここで価値観の転換をせまられている。それも、これまでになかった程大きく、しかも真にせまった問題としてとりあげられるようになったのである。自然環境の破壊は単に自然を壊すだけでなく“人間の生存基盤”をも破壊するものだという考え方への転換である。ある人に言わせると、今日の人間は価値観のコペルニクス的大転換をせまられているということであるが、この1970年代は、もしかしたら世界史にルネサンス以上の大エポックとして記されることになるかもしれない。
 最近の汚染問題を見てもわかるが、いわゆる公害問題ほど問題解決に多くのインターディシプリナリーな研究、情報を必要とするものはないであろう。少し考えてみても、医学的、生物的なものから汚染処理の物理学的、工学的、化学的問題、汚染の経済的問題、またそれらを統合した政治的問題、さらには拡散する汚染対策のためには国際政治経済学的な問題も含まれているのである。特に最近においては、それら各分野の独立した研究では処理しきれなくなり、高い視点にたった広い政治的対策が要求されている。地域住民の福祉を確保すること、住民と汚染主体側との利害調整など地域的なものから、上にあげたような広汎な学問研究分野を統合し、国際政治のレベルでの相互協力を行っていく必要まで、環境問題の政治に与えるウエイトは急激に増大することになった。私はこうした現状を見て、この自然保護の政治的問題を論文のテーマとしてとり上げることは充分に意義のあることと思う。
 ではなぜアメリカの自然保護に注目したかというと、アメリカにヨーロッパ人が渡ってからまだそれ程の時はたっていないのに急激な自然破壊を経験し、しかもかなり進んだ自然保護精神をもつにいたった。その経過がどのようなものであったのか、破壊から保護へ移行するときに何がきっかけになったのだろうか、その変化の原動力は何かという疑問があったこと。次に、南北戦争以後の工業化でアメリカは独自の大量生産という方式を発明し、それによって今日の大量消費時代がおとずれ、それがすなわち今日の公害問題の焦点になったと言いうる点で環境汚染問題にアメリカは責任ある立場に立たされているのではないかということ。三番目には世界のオピニオンリーダー的立場にある合衆国は、公害の発生面でも、また、それを防止する面でもリーダー的立場に立ちうるのではないかと思われることを考えあわせたからであった。すなわち、比較的短期間に破壊→保護へと考え方が移動したことは、各国の保護行政へ一つのパターンを示唆するのではないか、そしてそれはアメリカのリードのもとに、世界的なものにおしすすめることができるのではないかと考えたからであった。そういうこともあり当初においては世界各国の自然保護行政の共通パターンを見つけることを念頭に置いて調べていたが、結果としては共通パターンよりも各国の独自性の方がよく目につき、地域的な国家単位の独自性を形成する要因がその国の保護行政の姿勢に大きな刺激を与え、かえって各国それぞれの長所となっていることがわかってきた。であるからアメリカの国土、アメリカ人の特性などアメリカ独特のものがアメリカの自然保護にどのような影響を与えるようになったかを調べることはアメリカ人の自然保護の理念の本質をさぐり出すことになるのではないだろうかと思うのである。
 論文を書くにあたって自然環境の問題を扱うのは非常に広い範囲にわたるため、あれもこれも深く研究していくわけにはいかないので、政治の機構とか組織とか実践面は一切省略することにして、アメリカが破壊から保護へと変わったその価値観の変化とアメリカ自然保護の背景にある理念的なものにしぼってみていくことにした。アメリカの自然保護の理念は日本やヨーロッパ諸国と比較して、どのへんで違っているのかがわかれば、アメリカの自然保護の独自性もおのずからはっきりするのではないだろうか。その上で国際的な環境保全運動の中にある合衆国の位置や姿勢について考えてみたい。また、なによりもアメリカを一つのモデルとしてみることによって、わが国の長所、短所を知り、わが国のありかたを考える資料としてみたいのである。
 
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