「借金取り・落語・狂歌・百人一首
・再び狂歌・そして一言」

 
(1969年9月発行「エトピリカ」創刊号より)


荒川洋一

 先日横浜のデパートの玩具売場でアルバイトをしたときのことです。ケロヨンのおもちゃで有名な某問屋さんから納品がありました。暇にまかせてその問屋さんとおしゃべりの花を咲かせていましたが、ふとしたことから僕の所属している野鳥の会の話になりました。
 
「野鳥の会って鳥の声を録音したり、鳥の写真を撮ったりすんのか?」
「写真を撮る人はいますが、声を録音するのは設備等に金もかかるし、大変だからやっていませんね。」
「じゃあ、どんな事をすんの?」
「山などを歩いて鳥の声を聴いたり、姿を見てその鳥の種類を確認して、また、個体数を数えたり、習性を知ったり・・・。要するに鳥達を保護するための基礎的な活動をしているんです。」
「そいじゃあ声を聴いてあれは何鳥だなんてワカッチャウの?」
「ええ、僕はシンマイだからまだ15〜20種類しかわかりませんけどね。」
「へーそんなにわかるのか。そんならおまえ今度シャッキントリの見分け方を教えてくれよ。」
 
もちろんこの問屋さんは冗談で言ったのですが、これには一本とられました。
 
 今から四捨五入して二十年前、まだ僕が“かわいらしかった”時代に(その頃はまだ、人を白痴にさせる魔機(=テレビジョン)は普及していなかったので、ラジオ中心の生活でしたが)ラジオから流れてくる落語を聞いていると、たいていシャッキントリが出てきたものでした。そのころの“まろ”は御幼少であり御純粋であったので、本当にシャッキントリが鳥の一種であると信じていました。そして、そのシャッキントリという鳥をいつか見たいものだと秘かに願っていました。しかし、当然の結果としてその夢は砕かれました。それはいつのことだったかはっきり覚えてはいませんが、かなり失望したことはたしかです。というのは、今でもかすみの中に佇んでいるシャッキントリがあざやかに浮かんでくるのですが、実に美しい鳥だと想像していたからです。青い体、青い翼で風切の先端は朱色をしていて嘴と目は黒く、体全体にわたりやまぶき色の小班があるとても大きな・・・熊さんや八つぁんをびくびくさせるほどの−−−鳥でした。
 シャッキントリが鳥でなくなるということは、単に“借金取り”に変わるだけでなく、この美しい心の中の鳥まで消してしまうくらい大きな事件だったのです。とにかく落語は小さな頃の僕の生活に夢を与えてくれたものの一つでありました。今でも落語や講談は好きですからラジオ・テレビでも聴きますし、寄席へもたまに出かけますが、今の若いはなしか達はほとんど皆あじがなく、下品で子供らに夢を与える力などは持ち合わせていないようです。
 
 少し横道に逸れましたが逸れついでにもうちょっと逸れさせて下さい。皆さんもご存知かもしれませんが、落語に良く出てくる狂歌の中に面白いのがたくさんあります。その中でも気に入っているものにこんなのがあります。
 
  貧乏の棒も次第に長くなり振り回される年の暮れかな
 
昔の人はなかなかうまいことを言うものです。この狂歌というものは川柳と同じように、その時代の庶民の考え方や暮らしの様子がわかるのでとても面白いものだと思います。歌に関連して小倉百人一首を調べてみますと鳥の名が出てくる歌が五首ありました。
 
(1)あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む
(柿本人麻呂)

(2)かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞふけにける
(中納言家持)

(3)夜をこめて鳥のそらねははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ
(清少納言)

(4)淡路島かよふ千鳥の鳴くこゑにいく夜ねざめぬ須磨の関守 
(源兼昌)

(5)ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞのこれる
(後徳大寺の左大臣)

皆有名な歌ですから、皆さんご存知のものばかりでしょうが、これらの歌についての狂歌は知っていらっしゃるでしょうか。僕の持っている本に載っていますので、ご紹介しましょう。
 
(1)足引の山鳥の尾のながき日にせいくらべしてたつ雲雀かな
紀野暮輔=徳和歌後万載集巻一=
(これはながき夜をながき日にして、まっすぐにつぎつぎにあがる雲雀を、せいくらべしているのに見立てたものだそうです。)
 
(2)老いたる人のわづらひよくなりてのまたのとしに
  笠きてもこびんのはしにおく霜の白きは人の世ぞ更けにける
=吾吟我集巻九=
(こびんに霜、つまり白髪をおくのは人が年老いてきたしるし。)
 
(3)夜をこめて鳥のまねしてまづよしにせい少納言よく知っている
=狂歌百人一首=
(「よしに“せい”」と“清”がかけてあるのはどなたもおわかりでしょう)
 
(4)淡路島かよふ千鳥の鳴く声にまた寝酒のむ須磨の関もり
=狂歌百人一首=

(5)ほととぎす鳴きつるかたにあきれたる後徳大寺の有明の顔
=狂歌百人一首=

なかなかユーモラスですね。特に(5)の「ほととぎす・・・」の歌は百人一首をしている時にも後徳大寺のあきれ顔がうかんできてにやにやさせるほど(僕にとっては)おもしろいものです。
 
借金取りのはなしも落語も狂歌もエスプリとかユーモアなどという外来語では処理しきれない日本人のいわゆる洒落に対する精神が含まれていると思います。殺伐としたこの世の中に必要なのは、自然を愛することは別としてこの精神ではないでしょうか。
幸いに我が愛する野鳥の会はリーダーの三年生の皆様がこの精神はもちろん、もっとくだけたユーモラスさもふんだんに探鳥会などに取り入れて下さっていますから、交通事故の死者がどんどん増えていっても、毎日のように機動隊と学生が殴り合っても、乾いた心になりきらずにほんのちょっぴり潤いのある生活を送ることができ感謝に絶えません。しかしこれはもちろん三年生の方々だけのおかげではありません。今年入会した一年生を見渡してください。この人がいなかったら野鳥の会はもっとつまらなかっただろうとお思いになるような貴重な方がいらっしゃりますね。
ま、それはさておいて、この世の中で対人関係がもっとうまく滑らかにいっていたら、たとえばくだらないシャレを言って初対面の僕を一ぺんに旧来の友のように親しく感じさせたあの問屋さんのような人が沢山いたとしたら、満員電車の中で足をふまれても今ほど不快な気持ちにならないでしょう。また、それよりももっと我々の日常の暮らしが豊かになるのではないでしょうか。そのために僕たちは何をしていったらいいのでしょう。−−−落語を多く聞いて狂歌を覚えろとか、駄洒落を言えなどとは言いません。そんなことをしても大した意味は持たないでしょう。野鳥の会の人にはさほど必要性は感じられませんが、日本を住み良い“祖国”にしていく小さな第一歩として、我々がもっとユーモアを持って生きていくことを提案したいと思います。人を殺すことを何とも思わないこの時代にわずかでも潤いを持たせるために・・・・・。  =了=

[JOKE!]
牧師:"Now, can any little boy or girl tell us what we must do before we get to Heaven?"
トニー:"Die."