(昭和47年12月執筆) アメリカの自然保護、
第二章 アメリカの自然保護の歴史的概観
第四節 生態学とテクノロジーアセスメントの時代へ(1960年代後半から今日)


 

 
第四節 生態学とテクノロジーアセスメント
の時代へ(1960年代後半から今日)

  L.カーソンがその著書「サイレントスプリングス」で、農薬の使用が人体などに危険を及ぼす旨を世界に警告したのは1960年代の初頭であった。恐らく全世界で今日のような「生態学ブーム」を呼ぶきっかけになったのがこの書の出版であったのではないかと思われる。それまでごく少数の地味な学者がこつこつと研究しているだけでほとんど注目もされなかった生態学という自然科学の分野が、深刻になる一方の汚染問題を解決に導くバイブルのように扱われだしたのが、まさに1960年代に入ってからであった。それまでの科学技術の発展は、人間がその一員であるところの自然を無視したものであり、空気、水などの天然資源は無限にあるという観点に立ってなされたものであった。そこで、この生物相互の関係を研究した生態学を研究していくことにより、“より人間的な”生活を営むことができるような新しい発展の形を求めたのであった。カーソンの警告にもかかわらず60年代初期の人々は生態学的危機というものが実感としてそれ程強く受けとられてはいなかったが、ケネディ大統領が、大統領の諮問機関として汚染防止委員会を設け、積極的に汚染問題に取り組む姿勢を見せたことなどをはじめ、ケネディ、ションソン、ニクソン大統領はそれぞれ深刻になる汚染を解決するために生態学を利用する立場に立って汚染対策を取り入れるように努力した。
 1960年代は、50年代にはじめて連邦の大気・水質汚染対策立法が行われたのに続いての、まさに環境立法のラッシュの時期であった。後期にはいると1967年3月に、イギリス西南海岸沖で起こった、タンカー、トリーキャニオン号座礁事件、また、1969年5月にウ・タント国連事務総長が人間環境に関する諸問題について勧告するなど、汚染問題を中心にした環境問題が国際化していった。
 1970年代になると同時に、こうした60年代の後半から特に盛り上がってきた国際世論、一般市民の関心、即ちアメリカ市民の間で外を見るより内を見よう、地球の彼方や地球の反対側のことよりまず身近な環境を改善しようという世論が高まり、頂点に達し、爆発した。それの発火点として無視することのできないのが70年正月にニクソン大統領が議会に送った年頭教書である。
 それは「われわれは環境に屈服すべきか、それとも自然と和解して、われわれがこれまで大気、土地、水に与えた被害を償うことに着手すべきか、これこそ70年代の大問題である。」とうたい、「清い空気、清い水、広い空間---これらが再び全てのアメリカ人の生得権にならなければならない」と言い、「この計画については1年先でなしに必要に応じて5年もしくは10年先を見るべきときである。」と主張し、これまでのアメリカ政府のとってきた態度と比較して積極性がうかがわれる。続いて二月に提出されたいわゆる「環境教書」にはニクソン大統領の環境汚染に対する具体的対策がおり込まれ、水源の汚染、大気汚染、固形廃棄物の処理、公園とレクリエーションなどの分野にわたる37項目の計画が示されている。
 この1970年の年頭教書、環境教書は日本をはじめ、世界に大きく紹介され、世界的に環境保全、反公害のブームを呼んだ。文明国で生態学、公害、pollutionの単語を知らない人がいなくなる程であった。
 また、年頭教書で環境汚染あるいは社会的不安に対して適切な対策をとらなければならないという姿勢をとり、「新しい豊かさと、新しいテクノロジーで先駆をなしたアメリカは、いまや後続の新しい問題に対処し、科学の驚異を人類に役立つものとする上で先駆となるように求められている」と述べられているように、テクノロジーアセスメント(技術の再点検と再調整)という新しい概念がでてきた。
 
 テクノロジーアセスメントでは、一般に、さしあたって五つの項目が重要だとされている。それは(1)軍事技術・巨大技術、(2)環境汚染、(3)社会的緊張、(4)再教育・配置転換・首切りの問題、(5)プライバシーおよび人間の尊厳に関連したものである。
 (1)軍事技術・巨大技術は、国の安全保障あるいは国家の威信という目的に対処するため、多くの人材と資源をあてがわれている。その結果、技術の円満な発展がゆがめられる危険性があり、ひいては社会のゆがみにもつながる恐れがある。
 (2)豊かな社会は工業発展の結果生まれたのだが、工業の無統制な発展の結果、環境汚染の問題が深刻化している。
 (3)技術発展により豊かな社会になったが、そのため人々の欲望もそれだけ多くなり、収入の格差も生じ、社会的不安の問題も起こる。
 (4)技術発展によって絶えず社会は急速に変化する。そのため職場では再教育、配置転換が避けられない。これが労働者の首切りにもつながる。これも技術発展の結果であり、ここから起こる問題も少なくない。
 (5)通信手段の発展、コンピュータによる情報処理能力の増大はプライバシーを狭める可能性につながる。医学の分野に新しい多くの技術が導入されているが、特に、試験管での受精が成功するなど、人間の尊厳とは何かを再び問い直さねばならない。
 技術は多くの場合、効率をできるだけ上げることを目標にして開発が進められた。効率が上がらないものは切り捨てるという方向であった。しかし、重要なのは効率ではなくて、有効性である。ある部分の効率が下がっても、全体として有効性が上がるという方向で技術を見直さなければならない。そこで、将来技術開発の計画をする場合には三つの観点からチェックしなければならない。
  1. どんな可能性があるか。
    (従来の技術予測のそのままの延長。)
  2. そうした可能性が社会や人間や自然にどのような影響を与えるかの点検。
    (従来ある程度行われていたが、1.程重視されてはいなかった。)
  3. 予想される影響に対して、その影響の制御にはいかなる手段が可能か、とるべきであるかどうかを検討する。
    (従来はほとんど考慮さえていなかった。)
 こうしたテクノロジーアセスメントの概念は、未来学・未来研究の分野の大きな部分を占め、今後の人間環境の質をより人間的に改めていこうというものであり、従来の価値観を否定した新しい価値観を全人類に要求しているものである。
 
 戦争中から始まった技術革新の大波と社会的進歩の立ち後れで、公害問題は地方中小都市にもおよびはじめ、これ以上はどうしても見過ごせないという状態になって、アメリカをはじめ世界先進工業諸国はその政策に質的転換をせまられているが、一般市民の認識が向上し、現状に対する理解を示すことによって政府の施策は今後より有効なものとなるはずである。
 環境教書には次のような言葉で表現されている。
 「われわれの環境を浄化する仕事は、われわれ全ての全面的動員を必要とする。それは、全ての水準の行政体にかかわりがあり、全ての市民の助力を必要とする。それは単におさまり返って他人を非難するといった問題ではありえない。また、2〜300人の指導者に一任できる問題でもない。それどころか、この問題は全ての地域の全ての人々が自らの地域社会ならびに国家に奉仕する願ってもない機会を与えるものである。・・・(中略)・・・これは、われわれ全体の任務である。それはちょうど生命と同じように基礎的な大義のため、われわれの精力と創意と良心を要求するのである。」
 こうして「質の革命期」を迎えたアメリカの環境保護の政治は、市民が積極的な告発またはデモンストレーションによる環境保護の運動を通じて、政府がより根本的な対策を長期的視野に立って打ち出すことによって、産業界が少しでも汚染を無くする方向に努力することによって三位一体の前進をはじめることになった。
 新しい前進をはじめてまだ長くを歩んではいないので、足並みの揃わない点は多いが、これまでの時代---特に戦後25年の間、汚染対策に消極的であった政府が汚染環境の回復に努力をはらい、強力にリーダーシップをとっていくようになって、1971年の大気汚染防止法(マスキー法)、1972年の水汚染防止法(水のマスキー法)というこれまでにない連邦政府の厳しい立法を見ることになり、さらにニューヨーク市の騒音条例(1971)カリフォルニア州の排気ガス基準違反に対する罰金制(1970年9月発効)で代表される州あるいは都市単位での最も厳しい規制が次々と施行されていくということは「このままでいったなら、人類の生命はあと20年ともたないであろう」という危惧をいくらかでも軽くするものである。
 また、1970年10月、71年6月と日米公害閣僚会議が開かれ、71年1月に米国務省で開かれた「70年代の環境問題改善の目標と戦略」に関する国際会議、WHO、OECD、NATOなどで行われた環境保全のための会議など、国際的協調も1972年の国連人間環境会議を開催することで一応軌道にのり、「宇宙船地球号」の人類が生存のための新しい価値観を受け入れ、新しい国際関係・新しい人間環境がつくられつつある中を、未来へ向かって動き出したのである。
 
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