環境汚染問題
 
(昭和46年11月20日発行
「現代アメリカ −多極化する世界とアメリカ−」掲載論文)


荒川洋一

 19世紀前半までにピークに達したアメリカンシステムによるアメリカの工業化は、それの進展に伴って現在深刻になっている産業公害等の問題を引き起こすことになったが、それはアメリカ国内に留らず海洋などを媒体としての国際的な問題にまで発展してきている。そこでアメリカがこれまで行なってきた汚染対策を概観し、最近の日本・アメリカの立場を比較しながら日本・アメリカそして世界のとるべき道を考えてみたい。
 
−1969年まで−
 
 環境汚染に対する連邦規制は、初期においては伝染病検疫のための水質規制などを除いて立法化されず、ごく限られた地域的なものであった。大気汚染を例にとると、第一次世界大戦前後までは「見える煙」の規制が行なわれ、当時の重化学工業の目覚ましい発展の原動力となった石炭を中心とする燃料による地域的な煤煙の規制が中心であった。しかし、第二次大戦前後の航空機、自動車などの発達、石油産業の躍進、主要燃料の石炭から石油への.転換によって、問題が広域化・多様化・深刻化してきたため、連邦的な規制が必要となってきた。
 4,000人が死亡し、昼間でも手探りをしなければ歩けなかったという有名な1952年のロンドンスモッグ事件に先立ってアメリカでは1948年10月にペンシルヴァニア州ドノラで大気汚染のため20人が死亡し、住民の43%が病気になるという「ドノラ事件」が起こったが、時の大統領トルーマンは1950年に合衆国空気汚染技術会議を召集したに留まり、大気汚染の連邦的な対策が法律としての形をとるのは1955年のアイゼンハワー大統領の時であった。
 一方、水質汚染の対策は1948年に連邦の規制法が成立したが、議会が資金の歳出予算の承認を拒否したため、事実上規制対策は阻止され、1956年の修正法成立を待たねばならなかった。連邦としての法的規制による具体的な政策は、このように1950年代後半にならないとみられないが、地域的にみると、1913年までに既に51の都市で煤煙防止などの条例が制定され、カリフォルニア州では1947年に大気汚染規制地区法に基き大気汚染防止地区(APCD)を設置するなどかなり進んだ対策がみられるが、これは、環境汚染が初期においては地域的な単位のみで何とか解決できたことの証であろう。
 1960年代に入るとケネディ、ジョンソン、ニクソンと大統領は皆、.大気・水質汚染に.関する何らかの連邦対策を積極的に進めている。中でもジョンソン大統領の.時の1965年水質法と、1967年大気性質法は内容的に大きく進歩した法律であった。
 1969年までの汚染に対する規制などは年々改善されてはきているが、急速に拡大、浸透していく環境汚染を大きく食いとめることはできず、法律の運用も細かな配慮がなされていないため、企業などの汚染者が大きな犠牲を払わねばならなくなるといったことば多くなく、規制もれも有った。
 
−1970年−
 
<アメリカ国内>
 ニクソン大統領は1月22日議会に送った「一般教書」の中でこれまでアメリカ政治の場で言われた汚染に対する警告の中で最も進んだ姿勢を示した。大統領は、環境清浄化の道をとるかとらぬかは「70年代の大問題」であるとし、「自然をその本来の状態に回復することは党や派閥を超越した大目的である」ことを強調した。ニクソン大統領の具体的方針は、その後2月10日に提出された「環境教書」に明示されている。即ち水、大気、固形廃棄物、産業公害、レクリエーション環境について37項目にわたる計画を発表し、これまでのような緩やかな規制ではなく、例えば、工業汚水処理基準に違反した者は一日につき10,000ドルもの罰金を課すなどの項目もあり、厳しいものになっている。また、これら37項目の提案は徐々に実行に移されてきている。例えば、アメリカにとって大きな悩みの一つである自動車排気ガスの取り扱いについて大統領は、73年型の自動車から窒素酸化物を規制し、75年型から炭化水素を規制する。また5年以内に新動力の自動車を完成させることなどを具体的に提案しているが、この提案にのっとり7月16日に環境問題諮問委員会が、1975年までに大気を汚染しない「無公害車」を開発する計画を発表したのに続いて9月には無公害車の生産を義務づけた1970年大気汚染防止法案(通称マスキー法案)が上院で73対0で可決され、最終的に12月の上下両院協議会においてこのマスキー法案の内容を承認、法案は成立が確定し、大統領の署名を受けて1971年1月1日より発効するはこびとなった。この結果自動車業界は1975年までに現在の90%以下に排気ガス濃度を下げる義務を負った。
 連邦から州の単位に目を移しても積極的な姿勢が伺える。カリフォルニア州は8月に、1973年型自動車から州の排気ガス基準(同州の基準は合衆国の中でも最も厳しいものの一つ)に合格しない車を製造・販売したものに一台5,000ドルの罰金を課す法律を定めている(9月発効)。
 立法面と合わせてアメリカ政府部内の機構も大きく改められ、1月に環境問題諮問委員会が発足し、また、7月9日には環境保護局と海洋大気局の新設を発表、環境保護局は12月に発足した。この新設はアメリカの内政において環境汚染が複雑になり、今まで以上に重要な問題となってきたことを示している。
 
<市民運動>
 アメリカにおける環境汚染問題に対する市民の運動は70年になると爆発的な活躍を演じた。この年のアメリカ政府の環境汚染に対する多くの施策は市民団体などによってなされたと言っても過言ではないであろう。
 従来局地的な環境汚染に悩まされてきた市民は少なくはなかったが、彼等は州或いは連邦の単位で連携を保つことができなかったので、政治を動かすまでには至らなかった。1968年頃から生態学者等が一般市民に環境の危機を訴えたが、それが学問的に根拠のあるものであったので急速に全米に受け入れられ、一躍生態学ブームを起こすことになった。全アメリカ人が環境の認識を、高めた生態学的な基礎の上にラルフ・ネーダー弁護士や、イリノイ州のスコット検事総長といった法律にたずさわる者がリーダーとなり、政府に法廷を通じて賠償を要求したり、汚染に対する政治的責任を追求するという新しい形の運動を展開することになる。市民の利益のために市民が協力して政府を動かし、産業界に汚染清浄化へむかわせるというものである。企業の政治的圧力が行政機関に及びやすいという不利な条件に対する有力な手段として、市民は環境汚染に対する団体相互の連絡を強め、いくつかの団体がまとまって一つの運動を行なうようになった。これは次の例にみられる。
 12万人のメンバーをもつシーラクラブを中心とする五つの環境保護団体はワシントンの連邦控訴裁判所に「人体に害のあるDDTの全面的な使用禁止を政府に命令する」よう申したてたがこれに対して裁判所は政府に、DDTの使用禁止を実行するか、もしできないのならその理由を裁判所において明らかにするよう命令し、その結果、政府は8月28日にDDT使用を全面的に禁止した。アメリカがアポロ計画と並んでケネディ大統領以来、国の威信にかけて開発にとり組んできたSSTの問題に対しても、衝撃音、大気汚染、気候異変の可能性といった問題点を指摘して国民が一斉に立ちあがったため、上院は12月にSSTがアメリカ陸地内を超音速で飛行することを禁止する法案を可決し、その後も両院でSST開発予算を大幅に削減し、事実上この国家的な大事業も中止の状態になってしまった。
 70年中間選挙はこうした市民の意識を反映して多くの環境改善の公約がなされ、環境問題が直接政治に響いてくるようになった。4月に「アースデイ」の行事を先導した全米環境問題行動委員会はその当日2,000万人の参加者を動員することができたが、彼等が中間選挙の時汚染の立場に立っていると措摘した12人の候補者の内7人を落選させることができ、さらに、自然保護連盟などの投票者が支持し、援助した20人の候補者のうち16人が当選した。
 自然保護や環境汚染反対を目的として組織された団体でなくても、例えばライオンズクラブや婦人投票者連盟なども自然保護や環境清浄化のプログラムに力を入れはじめ、今や全米にわたり市民の発言権は強くなった。
 
<日本・アメリカの姿勢の相違>
 70年9月に佐藤首相・ニクソン大統領間で公害問題の協力をうたったメッセージを交換し、10月に第一回日米公害会議が東'京で開かれ、また71年6月に第二回日米公害会議がアメリカで開かれるなど、70年・71年は日本とアメリカの交流の面でも意義深いものが多くなされた。第一回日米公害会議の時にアメリカのトレイン環境問題諮問委員長はこの会議を、人類が未来に向かって新しい一歩を踏み出したものと述べ、「環境外交」をつくり出したことに対し貴く評価した。しかし、環境汚染に対する政治の姿勢は両国が必ずしも同一ではない。
 71年1月に発効したマスキー法は自動車の大市場をアメリカに置いている日本にとって痛撃であった。アメリカ車に適用される規制が輸入車にも適用されるからである。第二回日米公害会議に出席した山中総理府総務長官は「無公害車の完成に日本のメーカーが遅れをとれば米国市場を失うだけである。輸出車だけ厳しい基準であるというのはおかしいので国内販売車もそれに匹敵する規制を適用しなければならない」との考えを明らかにしているが、アメリカのラッケルハウス環境保護局長官の「将来の無公害車は値段も高くなり性能も今より落ちるかもしれないが、これは国民のため健全な環境を維持する代価である」との考えと根本的な立場が異なっている。
 自動車業界の反応はアメリカの大半と日本の企業は実用的無公害車を短期で完成させることは不可能としているが、世界最大の自動車メーカーGMのコール社長は70年1月に、10年以内に無公害車をつくるとの考えを表明している。もう一つの例は70年12月頃からアメリカで、日本製のマグロ缶詰から水銀が検出された時にみられたものである。厚生省は日本産マグロは安全である、1日に何キロも食ぺるものではないので、アメリカで問題にしている程度の汚染(0.5PPM)では影響ないとしているが、アメリカ側は、「この汚染で絶対安全といえるだけの証拠がない」とし、安全率に安全率をかけたものであると言っている。(後にアメリカでメカジキを長年愛食していた婦人が水俣病の症状を呈した時点で、ニューヨーク州は基準をさらに厳しくする旨発表している)自動車の場合もマグロの場合も、アメリカという市場確保を念頭においた日本政府の業界保護があまりにつよいため、アメリカにおいて国民の健康を中心に規制をすると、日本ではアメリカ政府が業界保護を強化するための規制であるととってしまう傾向がある。アメリカ政府も最近になってやっと市民の立場に立った対策を立てるようになったのだが、日本の現状では国民の立場に立って環境汚染に対する政治を行なうまでに至っていないといえる。これは、日本・アメリカそれぞれの歴史の流れから学びとられた理念の相違に起因すると考えられるが、それについての詳細は紙面の都合から別の機会にふれることにする。
 塾の十時教授は最も悲観的な見方をすれば、「現在の日本の政治姿勢を続けていくなら、世界中で最後まで公害国として残ることになろう」そしてそうならないためにはアメリカのマスキー法にとりあげられている程度の基準は業界側の方で自発的にとりあげていく必要があろうと述べられている。アメリカでは政治にこの「先取り」の姿勢がみられ、ニクソン大統領も70年の一般教書で「これからは1年先でなしに必要に応じて5年もしくは10年先を見るべきときである」と述べており、時代の先取りの意気が示されている。
 
<国際関係>
 70年はヨーロッバにおいて「自然保護宣言」が採択され、東京では公害問題国際シンポジュウムで「公害なき環境の享受は基本釣人権である」という「東京宣言」を採択、国連では「人間環境に関する宣言」を発表などなど国際的に汚染を考え、よりよき環境づくりを目指すために数多くの機会がもたれ、NATO、OECD、国連内の諸機関などプロックごとにまとまった対策も積極的になされているし、WHOで汚染探知警報を国際的に組織だって行なおうということも具体的になっている。これまで比較的地域性の強かった汚染問題も実際に、ドイツの工業地帯の煤煙のためにスウェーデンに黒い雪が降ったり硫酸の雨が降ることが証明されたり、タンカーなどによる海水の汚染により、地球の酸素の四分の三をつくっているといわれるプランクトンの減少など、国際協力は必要になってきている。アメリカはこれら国際関係には日本とならんで積極的に参加している。特にカナダとの五大湖、ヨーロッパとの大西洋の汚染に関してはニクソン大統領が特に力を入れてとり組んでいる。
 
−今後の展望−
 
 環境汚染問題は今後も人口の増加とともにより複雑に、より深刻になっていくものと思われるが、汚染問題が経済的、社会的、医学的、生物的・・・と広範囲にわたっているので、どうしても高度の政治的判断で積極的に、時代を先取りした形で施政することが望ましい。アメリカも日本も汚染問題での国際的発言力は強く、両国が協力して研究、対策などを行なって行くのなら、特に低開発諸国などの将来の汚染問題解決にも充分な貢献がなされうるであろう。これまで両国とも業界の圧力により、個人個人の主張は消されがちになっていたが、国家の利益として業界の保護がどこまで必要なものであるかを充分見きわめて政治を行なう必要があろう。
 
 広い範囲にわたる数多い資料を一章に組み入れるのであるから、内容が皮相になり、充分な説明ができなかったが、巻末の参考文献を参照してこの点を補っていただきたい。
 
参考文献
 
『アメリカにおける公害の現況と対策』日本生産性本部派遣産業公害専門視察団
『アメリカの大気汚染と防止機器』(財)機械振興協会経済研究所
『人口・成長・資源』一アメリカ環境委員会報告一時事通信社外信部訳
『公害』東京大学公開講座7東京大学出版会
『公害法体系』一法と行政の接点一河合義和
『公害事典』
一水・大気・土壌の汚染問題を中心として一
アメリカ科学アカデミィ編
(内藤幸穂訳)
『日本公害地図』NHK社会部
『世界の公害と日本の環境問題』社団法人経済企画協会
『自然と和睦し自然に弁償する』
一ニクソンの「環境教書」一
時事通信社
『失われゆく大気』一大気汚染を告発する一ジョン・C・エスポジイト
(坂本藤良スタディグループ訳)
『大気汚染防止法』
一アメリカ合衆国各州大気汚染防止関係法ダイジェスト一
アメリカ合衆国保健教育福祉省公衆保健局編
(日本都市センター訳)
『日米フォーラム』『アメリカーナ』米国大使館文化交換局出版部
『外国の立法』国立国会図書館調査立法考査局
『毎日新聞』『朝日新聞』『読売新聞』

 
 
「現代アメリカ−多極化する世界とアメリカ−」
昭和46年11月20日発行
発行所:慶応義塾大学太田研究会
印刷:ウメハラ印刷
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