日吉の鳥と自然保護について一言ずつ
 
(1973年9月発行「エトピリカ」第20号: 48年度卒業生記念号掲載文)


荒川洋一

 ナップサックに必要なものを詰め込み、キャラバンシューズを履いて目的の駅を降りる。或る建物の横で荷物の中から双眼鏡と図鑑と記録用紙を出し、それぞれ腰につけたり、首からかけたり・・・用意が整ったら出発。
 こうした毎日が何と多かったことだろう。いや、探鳥会ではない。目的の駅は日吉。或る建物は記念館だ。ベルが鳴るとキャラバンの音も高く教室に駆け込むのだが、時には語学の授業の時など先生が先にきていらっしゃることもあった。
 何があれほど僕を駆り立てたのか・・・よく判らない。しかし、とにかくしつこく歩いた。雨の日は記念館横で上下そろいのレインコートを着て傘はナップか鞄にしまい込んで回った。何かやらなければ、何とかしなければという気持ちもあったかもしれない。けれどただひたすら歩いただけであった。
 
 僕が一年の後期しかも10月中旬になってはじめた「モズ調査」がいつの間にか形を変え、「日吉の鳥調査」へと進歩した。野鳥の会の活動の一環としても取り上げられることになった。その結果、「教科書やノートは家に忘れても、双眼鏡と弁当は忘れない」という生活が始まったのである。運良く3時限が休講だったりすると、弁当も食べずに多摩川へ出かけた。12時から2時半までの間に多摩川へ行き4時限に出席した。
 
---x---x---x---x---x---x---x---x----

 
 僕は探鳥会と名の付く大規模な探鳥にはあまり出かけることなく終わったような気がする。一つには金銭的面があった。金がもっとあったならもっと色々なところへ行っていたかもしれなかった。だけど僕には幸いに十分な金はなかった。皆は「鳥を見に行く」ことに喜びを感じた。空気のよい景色のよい場所まではるばる出かけていって「鳥を見て」帰ってきた。軽井沢の電線にムクドリがとまり、空をヒヨドリが飛ぶのを見て「鳥を見た」気持ちになっているようであった。
 僕の場合は、しかしながらそういう友とは少し違った喜びを持つことになったのである。いつでもどこにでも鳥がいるということを痛いぐらいに感じることができた。日吉のスズメの顔つき・・・「まっくろけ」なのや「しろっぽい」のを見ていると、鳥を感じ、人間を感じることができた。「どこかへ鳥を見に行く」人にとっては東京で、しかも街路樹の枝に巣を掛けるカワラヒワやキジバトにはほとんど何の興味も示さないし、親しみもわかないだろう。しかし、僕にはそれがとっても愛らしく、はがゆく感じられた。それだからこそ自然の保護の必要性を強く心に刻みつけることができた。
 
 「鳥」とは「見に行く」ものだと無意識に信じ込んでいる諸君は、いくら自然の保護を訴えてみてもその人の本当の心の底の底から湧いてきたものではないと断定しても良いのではないかと思うときがある。東京には鳥がいないから山中湖へ「鳥を見に」行く人にとって見れば、山中湖にも鳥がいなくなったときには容易に別の所へ、たとえば長野県のどこどこ等へと「鳥を見に」行く場所を変えることができるからである。人間の偽善的な面がそこに出ていると言っても良いかもしれない。自分がさも自然破壊の問題に悩んでいるような顔をして平気で破壊を行っているような輩である。
 
 鳥は「見に行く」べきものではない。自分の生活は絶えず自然の中で営まれているべきである。自然ということは鳥の生息できる自然を言うのだが、その自然は現に私達をとりまいていているものなのである。そうあるべきものなのである。東京で今にも枯れそうなキジバトの飛翔を見ていると、東京の自然の危機が身につまされて感じられる。ここまで悪くなった生活環境の中でいじらしく生きているカワラヒワを見るとき、自然環境の回復を叫びたくなる。ましてシジュウカラの生死が我々の生死と密なる関係を持っているとすれば死にかかった木にとまるシジュウカラのすすけた体を見ることは将来の人間を見ていることであり、いても立ってもいられなくなるのである。
 
 僕は日吉をしつこいくらいに歩き、多摩川もかなり歩いた。身の回りに「まだ残っていてくれる」鳥がこれだけあるということがだんだん実感としてつかめてきた。たまに山中湖や軽井沢に出かけると僕には正に天国のように感じられる。しかし、・・・その「天国」に、迫り来る「東京」の危機を見ると、もう絶叫したいくらい頭が変になる。「もうダメだ」と思わざるを得なくなるからである。今日本中どこへ行っても「昔はもっといたんだけど今はほとんどいないね」という言葉を耳にする。虫であろうと鳥であろうと植物であろうと動物であろうとすべての自然がこの状態なのである。実際「もうおしまい」である。
 
 今に「鳥を見に行く」にはインドかアフリカかどこか遠いところへいかねばならなくなるだろう。そしてそういうところへ行く人が増えれば増えるほど、地球上で他に「鳥を見に行く」べき所を探しにくくしていると言っても良いのではなかろうか。都会の失われた緑を求めて出かけるとか、週末のレジャーや緑豊かな分譲地を求めて郊外へ走る家族が都会を捨てて省みないのであれば、日本の自然はよくなるわけはないと思う。常にパラダイスを求め歩いているだけではなく、今のこの身の回りをパラダイスへと変えていく努力こそ必要なのではないかと思うのである。都会がダメならダメでなくしていかなければならない。庭に来る鳥の種類が一種減ったら、またその一種を呼び戻すだけの努力をしなければならないだろう。カワセミが都会で見られなくなったから東京はダメだというのではなく、カワセミが昔のように多摩川で見られるような環境を作るようにしなければならない。ここまで科学を進歩させた人類である。そんなに難しい問題ではないだろう。
 
---x---x---x---x---x---x---x---x----

 
 日吉を歩き多摩川を歩いて、身の回りにある自然の重要さを痛切に感じ、その歩き回った結果である調査の結果がようやくまとまろうとしている。破壊されている自然の状態を何らかの形で残すことはより豊かな自然への方向を示唆することになるであろうし、何よりも大切なことは、学校という我々にとってごく普通の環境にこれだけの鳥がいるということを知ることは、わざわざ不特定多数、または、特定限定的少数の鳥を「見に行く」ことに比べて数倍も勝った収穫であるということである。まもなくできあがるであろう日吉鳥類調査報告書を是非一覧していただきたい。我らのキャンパスの鳥はどんなものなのか、どれくらいいるのか、そしてこれからどうなっていくのかどうしていかなければならないのかを考える資料としていただきたい。そして今度は日吉からあなたの家の周りに目を移してもらいたい。「スズメしかいないからダメ」なのではなくて「今度はジョウビタキを呼び戻そう」という気構えを持ってもらいたい。あなた達の子孫が生き延びるためにも。