多摩川の自然を守る会1981年2月20日発行
「緑と清流」100号記念誌、掲載文
多摩川の自然を守る会の10周年に、機関誌兼自然観察会テキストである「緑と清流」第100号を記念した出版物で、昔の観察会リーダーからの寄稿として紹介されたもの。守る会の発展・栄光とうらはらに、落ちぶれたかつてのリーダーがサラリーマン生活の中から振り返る、堕落反省の書。
1972年11月15日発行「とうきょう広報」自然環境特集 '72年増刊号「多摩川を守る」掲載の多摩川自然観察会の写真のうち48〜49頁の写真の一部です。中央の三脚を肩に担いだ人がバーダーの在りし日の姿です。
荒川洋一
1981年2月20日多摩川の自然を守る会発行「緑と清流」100号記念
観察会の思い出とリーダー紹介P238より引用」
早いものでもう「緑と清流」の100号が出版されるとか、今日の発展は自然観察会が始まったばかりの頃には考えてもみなかったことです。この発展は地元の皆さんと歴代のリーダー一人一人の熱意があったからだと思います。
当時私は慶応大学野鳥の会の一員として日本野鳥の会が行っていた多摩川の鳥の生息数調査のうち丸子橋近辺を担当していましたが、柚木さんから多摩川の自然を守る会で自然観察会をはじめるが、一緒にやらないかと声をかけられメンバーの一員に加えていただいたのでした。
主に鳥のことしか知らなかったのですが、自然観察会の準備をしながら、また柚木さん鈴木さんの両リーダーに教えられながら勉強し、ホームグランドの狛江あたりの植物や秋の虫の声などずいぶんレパートリーが広がりました。創刊当時からの「緑と清流」を手にとってみると、あの頃の原稿書きや横山さん宅での製本作業など楽しい思い出が浮かんできます。
今私は松戸市に居を移した関係で、多摩川に遊ぶ機会も少なくなりましたが、当時の観察会で真剣に説明を聞いてくださった皆様のお顔やポイントをついた質問の一つ一つを思い出し、懐かしくなって今度の観察会に出掛けてみようかなと何度か思うときがあります。しかし悲しいかな、サラリーマン生活で終日は付き合いや残業などで疲れ果て、せっかくの日曜日に目覚めると何と時計が10時をさしているという結果に終わるのであります。
結婚し、子供ができた現在は、子供が安心して遊べる自然環境はかなり少なくなり、子供の将来を思うと胸がいたみます。
「緑と清流」の100号の発行が、これからの多摩川の、いや日本の自然保護へ更に大きな第一歩とならんことを願ってやみません。
皆さん松戸市にも多摩川のファンがいることを忘れないでください!
松戸市高塚新田128-2 高塚団地