東京ポスト1971年8月29日付け
連載「山の手いまむかし」-5-「多摩川」


 
多摩川の変化にスポットを当てたこの文章の一部で、当時、私が行っていた活動の一面を紹介しています。

 

 
(記事の内容紹介)
 
【前略】
 いま、横浜に住む荒川洋一君(22)は野鳥を捜して多摩川べりを歩く。東急ゴルフ場付近で三十羽ほどの紅スズメを見つけた、といつては涙ぐむほどよろこぶ。また、登戸の土手の草むらで、ムクドリの頭だけが五十コも捨てられているのを見つけて、「商売人が、焼鳥用かなにかで捕えて、その場で処理して行ったに違いない」と憤る。
 荒川君は慶応大学三年、同大「野鳥の会」のリーダー格。中学時代までは武蔵野市、高校時代は小金井市に住んでいたため、多摩川は彼にとって身近な存在だ。幼稚園のころ、父親に連れて行ってもらった調布付近のメダカと、アユ釣りの釣り人の姿は、まだ彼の記憶になまなましく残っている。
 国際政治学を専攻する荒川君は、「"アメリカにおける自然保護"というテーマで、卒論でも書こうかと思う」と冗談めかして笑う。それほど彼は自然を愛する。しかし、彼の"愛する"多摩川の自然は変えられてゆく。水質汚染で、さかなは奇形になり、ブルドーザーに切開かれ、人工緑地となった河川敷に鳥は家を失い、上流へ上流へと追われてゆく。
【後略】