(昭和47年12月執筆)アメリカの自然保護、
第四章 国際化していく自然保護主義
第三節 国連人間環境会議以後


 

 
第三節 国連人間環境会議以後

  国連人間環境会議の開催は、スウェーデン政府のイニシャティヴにより1968年秋の第23回国連総会で正式に決定を見たもので、その狙いは「人間環境問題は優れて国際的性格を持っているので、その解決にあたっては国際協力の推進が極めて望ましく、国連が中心となって国際協力を進めるとともに、まだ環境問題が表面化するに至っていない開発途上国には、この問題に悩んでいる先進国の経験を参考として示す機会を与えること」であった。
 会議の議題は第2回準備委員会の結果次の6つを中心に据えることにした。
  1. 人間居住の環境問題
  2. 天然資源管理の環境的側面
  3. 広い国際的意義をもつ汚染物質と公害の把握および規制
  4. 環境問題の教育、情報、社会、文化的側面
  5. 開発と環境、各種実行計画の国際的機構問題
 テーマのスケールが大きく、性格が複雑多彩なため、本会議に先立って何度か準備委員会が開かれ、予め宣言案や条約案が起草された。例えば1.に関しては、アンコールワットやマヤの遺跡などの世界遺産の保護条約、また、国際湿地保護条約、科学の島保存条約、野生動植物の輸出入に関する条約など、3.に関しては、海洋汚染防止条約などがある。
 このような準備の結果、参加112ヶ国、約2000人という大規模な会議が開かれたわけであるが、意見の違いから東欧諸国が全く参加しなかったことは、広く国際自然保護主義をうたうこの会議であって見れば、その目的の半分が達せられずに終わったととられても仕方があるまい。
 しかし、本会議では予め起草された海洋汚染防止条約をはじめ、捕鯨の10年間禁止決議、5年間に1億ドル集めるという国連環境基金を設置するなど多くの有意義なる決定を見ることになった。中でも6月16日に採択された人間環境宣言は、1948年の世界人権宣言にも匹敵するほどのものであるという評価があるほどである。
 同宣言は「自然のままの環境と人間によってつくられる環境は、ともに、人間の福祉と基本的人権---さらには生存権そのもの---の享受のために必要不可欠なものである」ことをうたい「人間環境の保護と改善は、全世界を通じて人々の福祉と経済発展に影響を与える主要問題である。それは、全世界の人々の緊急な念望であり、かつ全ての政府の義務である。」という前文7項と、環境に関する権利と義務、天然資源の保護、更新可能資源、更新不可能資源、野生生物の保護、有害物質の排出、海洋汚染の防止、経済・社会開発、開発途上国への援助、一次産品の価格安定、環境政策への影響、開発途上国への追加的援助、資源管理と開発計画、開発と環境保護の調整、居住都市化の計画、人口政策、環境資源管理のための国内機構、科学技術・教育・研究・開発の促進・流通、環境開発の権利・責任、補償に関する国際法の発展、国内価値体系の考慮、国際協力、国際機関の役割、核兵器その他の大量破壊兵器という正に多くの内容にわたる206項目の原則によりなっている。
 この宣言文はいろいろと不備な点もあり、内容的にも前後矛盾したような箇所がいくつかある。また、この国連人間環境会議自体も世界中が一種の“お祭り”的な関心でとらえていたのではないかという懸念もあるが、たとえ不完全なものであっても、とにかく国連の提供した場で110ヶ国以上の国の合意により成立したというところに価値をおく人は少なくない。4回目の準備委員会で、宣言の最終草案が審議された際に、ユーゴスラヴィア代表が指摘したとおり、「この宣言案は、各国の妥協によりかろうじて成立しているものであり、極めて不完全なできであることは確かであるが、それなりに利害関係の激しく対立する現実の国際社会の忠実な投影図に他ならない。不完全なのは宣言案ではなく、国際社会そのものだ」というべきなのかもしれない。
 この複雑な国際社会において複雑な環境問題をその必要とするであろうほとんど全般的な面で(先にあげた項目参照)“共通の信念”を表明しているわけであるから、ここで芽生えた国際自然保護主義下の協調のもとに、国際社会の改善を意図することもいずれできるようになるかもしれない。
 とにかく、この“お祭り”的な国連人間環境会議が終わった時点で国際自然保護主義が真の意味で動き出していくのでなければならないはずである。

 こうしたポストストックホルムの時代において国際自然保護主義に多大な貢献をなしうる国は日本とアメリカであろう。なぜなら、わが国は極めて短期日に世界の驚異となるほどの経済成長を示し、工業化の理想的パターンをたどってきたが、その結果世界に類を見ないほど根の深い広範な汚染を生み出すことになり“公害先進国”としてまたとない情報提供者となりうるし、その経済力は発展途上国に充分な援助をするにたるだけのものをもっているからである。
 また、アメリカの場合は歴史的な規模とスピードで行われた自然破壊から保護の政治へと奇跡的「変身」を実にスマートにやってのけた上に汚染も日本より古い歴史をもち、またその経済力で世界に大きく貢献している。
 アメリカも日本もともに国際社会において経済力があり、また、自然破壊に対する情報も供給できる立場にあることから、環境の南北問題に一条の光を投げうる役になれ、国際自然保護主義を発展させていく大きな担い手となりうる能力があるのである。
 人口増などから、今後の地球上の資源管理が必至の状況であるが、そのことを考えるとこれまでアメリカが独自で行ってきたConservationの行政は世界のとるべき、また、国際自然保護主義のとっていかねばならない方策となることは充分に考えられることであり、そうなった場合には、早くから国策として行っているアメリカは一層世界から頼りにされることになるであろう。現に世界各国では野生生物の減少、森林資源の需要増大などから、アメリカ的Wildlife Managementの手法や森林管理技術などが参考にされている。
 このように日本もアメリカも国際自然保護主義の世界において期待されるものは大であり、両国とも今後の世界の範たる内容をもちうるものであることは今のところ疑いはない。しかし、これから自然保護主義を採用していくというような発展途上国がこうした先進国の自然保護行政を鵜呑みにすることは必ずしも望ましいとは言えない。自然保護はその土地にあった方法、その国の習慣にかなった方法で行われるのがよいのであり、それゆえ各国の自然保護の行政がそれぞれ具体的には異なったものとして現れるのであるから、まず、自国の現状を良く認識し、特定の国のまねに頼るよりもそれが国民の中に定着し、染み着いた自然保護の原則として表出するようにつとめることが重要なのである。
 自然保護の原則意識ができあがった上でアメリカのConservationの概念なり何なりを参考として取り入れていき、国際的自然保護主義の目的とするところにうまく沿うようにしていくのが最高の方策であり理想である。
 

目次に戻る
続けて読む場合は、右矢印をクリックしてください。