(昭和47年12月執筆)アメリカの自然保護、
第四章 国際化していく自然保護主義
第二節 環境の南北問題


 

 
第二節 環境の南北問題

  汚染の拡大、資源管理など早急に国際的レベルで結束し、手を打っていかねばならない現状ではあっても、ここで自然保護主義を第一義として世界各国が協力していくことに困難さを与えている問題がある。環境の南北問題といわれる発展途上国の開発の問題がそれである。発展途上国と公害問題について、先進国の意見はどうかというと、イギリスの環境白書に「発展途上国が過去150年間にわたって先進国の犯してきた誤りを繰り返さずに経済を拡大し、環境を処理するのを支援するため、貿易、援助、助言によってできるだけのことをする」と書いてあり、また、アメリカ国務省当局者の「将来先進国並の発展段階に達したときにはじめて汚染の問題を考えるというのではなく、先進国の轍をふませないよう産業発展の道程において汚染防止策を講じてゆくことが好ましい。」というように一様に「先進国の犯してきた過ちを繰り返さないよう」強調している。
 逆に発展途上国側の意見は、1970年3月に開かれた国連人間環境会議準備委員会におけるインド代表の発言に代表される。それは次のようなものである。
  1. 環境問題の重要性を一応認める。
  2. 発展途上国の必要を充分考慮すること。
  3. 発展途上国に対する援助の具体的方法を検討すること。
  4. 環境保全のため国際規制の適用により発展途上国の経済開発が阻害されることのないように配慮すること。
と、以上1〜4に指摘しているように「環境基準」が開発へ制約を加える可能性について幾分警戒的な態度をとっている。発展途上国の側でこのような不安の種となった要因は次のようなものがある。
  1. OECDが提案しているような「発生源者負担の原則」が国際的に定着してしまうと、「公害ダンピング」の考え方が通商関係を規制しかねない。
  2. 開発資金の援助供与を受ける際に厳しい環境基準を条件として課せられる可能性も出てくる。
  3. 先進国の企業が本国での厳しい公害規制を逃れるために発展途上国に入り込んでくる。 などである。そして、発展途上国を代表する専門家の中には「もしも産業活動を増やすことが公害を増やすことになるのなら、公害の増えることを歓迎する」という立場をとるものもあった。
 発展途上国がこのように先進国から環境基準を押しつけられることの不満は、先進国が一世紀以上にもわたる歴史の中でようやく社会的な承認を与えるようになった労働組合運動の自由や、社会保障関係の諸権利を建国発展の初期において認めざるを得ないという社会的環境の中にあるという資本主義的発展のハンディキャップを背負わねばならぬ発展途上国に、先進国が自分たちの使いたいだけの資源を使い、公害をまき散らし、その結果「かけがえのない地球」に限界がきたからといって貧しい諸国にまで資源保全や環境保護の必要を呼びかけるというのは、あまりにも虫が良すぎるのではないかという不満として爆発したのであった。
 発展途上国の経済発展がきわめて重要な今日の国際的課題であることは疑いはない。南北間には単に貧富の差があるというだけでなく、現にその貧富の差は拡大しつつある。
 International Bank for Reconstruction and Development, Trends in Developing Countries 1971によると、世界の国々を先進地域と後進地域とに分け、人口の分布がどのように変化してきたかを示してある表があるが、それによれば、戦前の1940年頃には先進地域の人口が全体の36%、後進地域の人口が64%であったのに対し、50年には先進地域34%、後進地域66%、60年には33%と67%、そして1970年になると、それが3対7の比率になっている。貧しい国の人口数は相対的にも増加する一方であり、人口問題専門家の予測によれば、2000年になると後進地域の人口の割合は77.7%にまでさらに増加するだろうという。
 一方で発展途上国の一人あたりGNPは相対的にいって立ち後れを示している。1960年代は「開発の10年期」として国連諸機関が特にこれら諸国の経済成長に力を入れた時期であったが、その結果は決して芳しいものではなかった。(発展途上国の60年代における一人あたりGNPの年平均成長率は2.6%で先進国の場合は、カナダ2.8%、アメリカ3.2%、西独3.7%、イタリア4.7%、日本10.0%となっており、わずかにイギリスだけが1.8%と発展途上国に及ばなかった。それも比較的人口の多いインド、インドネシア、ブラジル、ナイジェリア、フィリピンなどの60年代における成長率を調べてみると事態は一層悪く、インドをはじめとして九つの代表的発展途上国はどの一つも2%を超える成長率を示しておらず、平均すると1%に満たないような状態である。)
 こうした事態を前にするとき、地球を一つと考えて自然保護主義を国際的にとり上げるのならなおさら国際的な所得不平等度の増大に対しては国際的レベルで対策を推進しなければならないし、真剣に先進国と発展途上国との妥協点を見つけていかねばならない。
 先に成長率をGNPで表した数字を例に出したが、ここで成長の度合いをGNPの成長率でのみ判断することは、特に発展途上国の側において適当ではないのではなかろうか。 なぜなら、発展途上国が直面している課題はgrowthではなく、むしろdevelopmentであり、このdevelopmentの課題の中にはそれぞれの国の歴史的背景に応じて旧植民地体制の清算、農地改革、社会的共通資本の建設、金融制度の創出、教育制度の普及など具体的な諸問題が含まれているのである。だから根本的には現在の発展途上国が直面している経済発展の課題は、先進資本主義国が体験してきた経済発展の過程と全く同じものと見るわけにはいかないのである。
 そこでいかにして発展途上国が自然保護主義に溶け込んでいくかということは、環境問題をいかにして開発に組み入れていくかということになる。即ち、上下水道の完備、土地利用における自然保護への配慮、都市化過程における公害防止の計画など、先進国においても環境問題の一部と考えられる事柄が、同じように発展途上国の環境問題として把握され、同時にそれが開発計画の具体的内容となるようにできるだけ努力していく必要がある。そこには統一原理として福祉に視点を置いた開発計画の理念があり、それが先進国と発展途上国の歩み寄れる点なのである。
 しかし、この場合主体はあくまでも発展途上国にあるべきであり、先進国が自然保護主義の押しつけをするようであっては、先のような不満がおこるきっかけともなるのであるから、先進国は発展途上国の自由にまかせるべきである。ここで、先進国は発展途上国に対して破壊の経験者であることと、経済的学術的に有利な立場にいるわけであるから、次の義務を負うべきであろう。
 (1)どのような公害や環境上の帰結が伴う可能性があるのか事前に充分な情報を提供する。特に公害問題に関しては、事前の防止が事後の対策よりもはるかに安くつくということが実証済みであるだけに、後進国もその情報により大きな恩恵を被ることができる。
 (2)金銭的、物質的、技術的面で援助をする。(「公害ダンピング」等の環境基準を条件とする援助資金の制約などは今後の課題としなければならない。)
 (1)の場合特に大型のプロジェクトのときは予測のつかない結果になることもあるので、慎重な研究をし、十分に検討する必要がある。(註参照)
 さて、このような南北問題、汚染の拡大などに対処するために、1972年6月にストックホルムにおいて国連人間環境会議が開催され、国際自然保護主義のスタートを切ることになった。
 
<註>慎重な研究が必要な例としてアスワンダムのもたらした問題
アスワンダムは灌漑と発電を行い洪水の被害を防止する多目的でつくられたが、次のようなマイナス効果が生じ、巨費を投じた効果が果たしてよい面に出ているのか、そうでないのか判らなくなっている。
  1. 洪水がなくなったために下流流域では肥料分を含んだ沈泥の流出がなくなり、新たに化学肥料に頼らねばならなくなった。
  2. その沈泥がナイル河口付近に供給されなくなったために、生態学的にはそれに依存していたイワシの漁量が激減してしまった。
  3. 河水の自然の流れをせき止めたため、河口近くから上にかけて海水の逆流現象が生じ、その地域の農作物に影響を与え、土地の塩水化の被害が生じた。
  4. 大規模ダムの造成によってできあがったナサー湖のおかげで、新たに生じた停滞水域を温床として住血吸虫病やマラリアの発生源であるカタツムリの仲間が繁殖するようになった。
  5. ナサー湖ほどの大きさの水域から蒸発される水分のおかげで、この地域の気象事情に大きな変化が生じつつある。

 
目次に戻る
続けて読む場合は、右矢印をクリックしてください。