(昭和47年12月執筆) アメリカの自然保護、
第四章 国際化していく自然保護主義
第一節 国際的管理の必要性


 

 
第一節 国際的管理の必要性

  従来局所的であった環境汚染は第二次世界大戦後、徐々に拡大してきた。はじめは国内のごく限られた地方の汚染であったものが、次第に国内のかなりの部分を占めるようになり、とうとう外国に影響を与えるものも出てきた。そのため国際的に汚染対策を講ずる必要が出てきたのである。
 
 (1)大気汚染の場合は、工場周辺に汚染の被害を与えることを軽減しようとして煙突を高くした結果、かえって汚染を遠くに広範に広げることになってしまった。例えばスウェーデンでpH4という酸性度の高い雨がこの10年ほどの間に降るようになったのを調べてみると、オランダ、西ドイツあたりの(特にライン川流域)工場が200mほどの高い煙突を立てたことに関係があった。そのライン地方の亜硫酸ガスがヨーロッパで最も多い南西方向の風に乗って、300kmから500km流れていく間に化学変化を起こし硫酸と変わり、それがスウェーデンで硫酸の雨となって降り注いでいるということが明らかになったという例で示される。
 
 (2)大気汚染よりも汚染の度合いがひどいことで注目されるようになったのは海洋の汚染である。河川の汚染が進み、ひどくなっていくと、その最終過程である海洋の汚染は必然的に悪化していく。さらに、公海上は全くと言って良いほど汚染に対する規制はなく、タンカーなどの船舶がその廃油を捨てたり、汚物を投棄したりしてきたので、その汚染のスピードも相当なものであった。また、超大型タンカーも航行し、航行船舶も激増したため、船舶、特にタンカーの衝突、座礁事故が増加し、それによって海洋が油で汚染される頻度も高くなった。その上海洋の自浄作用を大きく促す海岸の干潟も各国によって盛んに埋め立てられ、汚染を浄化する海洋の働きがいくらか低下している。
 このような海洋汚染の結果、地球上の酸素の四分の三を供給しているプランクトンの種類数もイギリスの研究家によると減少し始め、(赤潮などプランクトンの数は自然現象で増減することはあっても種類が減ることはこれまでになかった。)大気の汚染と相まって、酸素不足を招くのではないかという深刻な問題を投げかけているし、南極のペンギンや北極海のハヤブサなどから農薬が相当量検出されているというように汚染の深さも危機感をもたらしている。
 
 (3)国際化していく汚染としてもう一つ無視できないのは放射能の汚染である。核実験での汚染はもとより、平和利用としての原子力船舶、原子力発電所でも原子炉の運転に伴いどうしても出てくる放射性廃棄物の処分方法が問題となっている。ヨーロッパでオランダが自国内で放射性廃棄物の処分をすることができず、そのため厳重に密封した形で深海に投棄しようとしたところ、英国などが漁業における安全と汚染への懸念から軍艦を出してそれを阻止するという事態も起こっている。
 今日の地球上の放射能量はこれまでの地球で経験したことのないほど大量なものなので、これのほとんど無限大の長期に人体などに与える影響は全くわからないということであるし、今後も原子力利用が普及する傾向にあるので、早急に国際的対策を立てる必要がある。
 
(4)以上三つの他に世界的な規模になりつつある汚染問題にいわゆる「熱汚染」がある。工場などで生産過程で使用された水などは、たいてい取り入れられたときよりも暖められて放出される。特に原子炉を冷やす冷却水は、かなりの温度になるというが、それを川や海に戻すときにはもとのように温度を下げることはほとんど無い。空気の場合も同様である。数多くの機械が発生する熱や暖房設備の普及による空気の温暖化は徐々にではあるが確実に進んでいる。大都市と周辺の農村地域とでは現に4℃以上もの温度差を生じているという。こうした「熱汚染」が気象に影響を及ぼすことも考えられ、将来何らかの策を講ずる必要がある。
 
 以上のように大気、海洋、放射能そして熱と国際的に協力して取り組まなければどうにもならない汚染の問題の他に次の資源保存の問題もある。
 鉱物資源は地球を基盤として生活する以上(将来他の惑星などからの鉱物入手が可能になるのならいざ知らず)現在地球上に埋蔵されている資源に頼らなければならないことは明らかであるが、今日の生産・消費システムでは世界的に見てあらゆる鉱物資源が無駄に消費される一方で、特殊な金属の他は回収困難である。今後ますます地球各国の開発が進められるならば、資源の枯渇も火を見るよりも明らかな事実である。であるから、できるだけ早期に国際的に管理体制をもつことが要求されるのである。
 鉱物資源より、さらに国際性が強いものに漁業資源がある。人口増に伴い貴重なタンパク源として注目をあびているが、海洋汚染によって減少しがちな上に各国の漁業技術がアップすることにより、大量の漁業資源が消費されているが、漁業資源は生物であるため、永久に利用するためにはその種の自然増殖範囲を超えない捕獲の規制が必要である。
 
 このように、汚染の問題、資源保存の必要上から国際的に汚染を防止し、資源を管理しなければならなくなってきており、自然保護主義の国際化が最近特に叫ばれているが、ここで無視できないのはヴェトナム戦争でアメリカが使用していた生物兵器の問題である。
 アメリカは生態学の研究が進んでいるが、それを自然保護の面だけではなく自然破壊の方面で役立てることに成功した。それがヴェトナム戦争における枯葉剤の使用、および、作物を食い荒らす害虫散布であった。ヴェトナムのジャングルに枯葉剤を散布することは単にヴェトコンの隠れ場所をあらわにするだけでなく、熱帯性の林であるジャングルを永久に荒れ地にしてしまうほど重大な意味を持っているのである。アメリカ政府の発表では数年たてば再びジャングルになるということであるが、生態学者の研究によると、熱帯多雨地方におけるジャングルは日本などの温帯のそれと違ってきわめてもろく、木が枯れるとその下の土壌はスコールで流され、岩盤が露出して再びジャングルのできる可能性はないという。
 こうした枯葉剤の使用は確かに戦争を有利にする一手段であるかもしれないが、今日のように自然保護主義の声の高まっているときに積極的に自然を破壊するものとして国際世論がわき上がり、アメリカ国内での科学者の反対もあってアメリカはヴェトナムでの枯葉剤使用を中止することにした。(しかし、その使用を中止したあともその影響は残っている。ジャングルから川によって運ばれた枯葉剤が稲など農作物に被害を与え、それを食している地元の人々の中から奇形児を生むものが急に増加したことなどである。)このように積極的自然破壊によって戦争を有利に導くというやり方は国際世論という形をもって規制されることになったが、今後の国際社会において自然保護主義をまず第一義としていくのならば、当然国際的に監視していく必要があろう。
 
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