(昭和47年12月執筆) アメリカの自然保護、
第三章 アメリカの自然保護の独自性
第二節 アメリカの自然保護とわが国の自然保護


 

 
第二節 アメリカの自然保護とわが国の自然保護

  わが国では統一された政府が置かれ、統制のとれた政治が実施されるようになるまでは、野生鳥獣は宗教的制約とか、地方豪族、大名などに私有物化されていたような例外は除き、自由に捕獲されていた。しかし、他方、私有物化されていた地域での捕殺禁止制度は古くからあり、それらの地域での鳥獣類の捕殺は、厳重な戒律のもとに実施されていたのは事実である。結果から見れば、一種の保護施策が実施されていたと言うことができる。また、宗教的な意味から殺生禁断の行われていたのも事実で、最も顕著な例としては、1687年に徳川幕府の五代将軍綱吉が、生類憐れみの政令を作り、しかも、次第にそれが乱発され、常軌を逸した動物愛護令が施行され、かえって世のひんしゅくをかった事実がある。宗教的な考えを基底とした動物愛護の現象は、今日でもなお鳥獣保護思想の底流として残存し、幾多の実例が挙げられる。(第一章第一節の一参照)
 わが国では欧米のそれに習った、いわゆる近代的な形式で野生鳥獣の保護を目的とした法律は、保護法という形式ではなく、狩猟行為を制限することによって始まっている。保護施策の背景となる思想は欧米のそれと比べてきわめて消極的であり、保護の必要性に関する意識は無かったと言っても良い。
 ヨーロッパでは第一章第一節の三で見たように、早くから自然保護に対する思想が芽生え、住民の間にその思想が深く浸透している。なぜ深く一般に浸透したのであろうか。それは過去において徹底的に自然を破壊し尽くしたという経験をもっており、それによって自然の重要性を身をもって感じているからであると言うことができるであろう。
 横浜国立大学の宮脇昭助助教授はそれについて次のように述べている。
 「祖先が林内放牧、森林の乱伐、火入れなどによって、かつてはゲルマン民族などヨーロッパ民族の生存基盤であった郷土の森を食いつぶし、ヨーロッパ大陸をステップ化したという過去の苛酷なまでの苦い自然破壊の体験を持っており、人間の生活環境の砂漠化に対して本能的な恐怖をもっているのである。」また氏は、「彼らには今まで緑の生活環境復元に努力しなかったラテン系民族による地中海地方の荒廃景観が無言の教訓となっている。」とも言っている。要するに長い歴史の彼方からほぼ完全に緑の自然を破壊して、その結果、自然の必要がヨーロッパの人々の中にしみこんでいるので、ヨーロッパの場合には特にゲルマン民族のドイツにおいては、自然保護という大前提をもってあらゆる政策が行われているのである。
 アメリカにおいては第二章第一節に見たような急速な破壊、それに伴う急激な天然資源の減少によってConservationの概念が発生してきたこと、その資源保存の考え方をセオドア・ルーズヴェルト以来国家の政策の一環としてとりあげていることなどにより、ヨーロッパと比較するとむしろ具体的な政策はアメリカの方が早く取り入れられ、それだけ自然保護の理念が早くから政治の基礎に定着している。(勿論この“保護”の概念はヨーロッパのものと異なる。それについては第一章第二節参照)
 以上のように、ヨーロッパもアメリカも、自然保護、鳥獣保護のあり方に対し、問題の底流にはそれぞれの古い伝統、宗教的な環境風土や経済条件など計り知れない深いものがあり、その上に保護の概念が成り立ってきたし、保護の大原則ができあがっていることを背景に各種の規制などがなされていると言うことが言えるが、わが国の場合には、今日に到るまでそのような保護の大原則は存在していないのである。保護の必要性が民衆に定着していないにもかかわらず、比較的最近まで日本に自然が良く残っていたのは、先にあげたような大名などの私有地内での規制、また、鎮守の森といった宗教的考え方が大きく作用していたからであり、そこに江戸時代の鎖国という政策によって西欧的な近代化が浸透することもなく、ほぼアジア的、純日本的な自然観でもって自然が残されていたのである。しかし、ここには自分たちのために保護しなければならない大原則への必然性はなく、「御上」が禁ずることであるから、それに背くことができなかっただけである。であるから、明治に鎖国が完全に解かれ、西洋文明がどっと流入してきたときに、日本は欧米の自然保護の芽生えに気付くこともなく、ためらわずに自国の恵まれた自然資源を利用し、西欧的近代化につとめた。
 明治政府は国家主導型での工業化を試み、積極的に工業化政策(工部省設置、地租改正など)をとり富国強兵、殖産興業を目指して西欧技術を育成したために、その結果として今日の日本の経済発展の下地をつくることになり、世界的に有名になった日本の公害問題があるのである。また、工業化と同時に、特に第二次世界大戦後において激しく日本国内に西欧の自由主義的風潮も広がり、それまでの身分制社会においては考えることのできなかったレジャーの概念が庶民の間に入り込むことになったため、産業の発展に伴うモビリティーの活発化などと相まって、いわゆる観光開発なる自然破壊が行われることになるのである。
 今日の日本の自然破壊の現状は第二次公害である自動車排気ガス公害も含む産業公害と観光開発の二つに大別することができるが、この源は国家の主導によってはじめられた工業化と産業保護にたどることができる。即ち「御上」のすることに直接影響を受けているのである。元来日本に保護の原則が形成されていなかったが、日本人にはこうした保護理念などが民衆の間に形成され、政治に反映されるということはこれまでにほとんど無く、常に「御上」の姿勢に影響されていたので、今日のような環境破壊の惨状を見るようになっても、住民の中からの危機感が大きく政治を動かす程強い結束力は、残念ながらもちえないのである。これは、別の見方をするならば、ヨーロッパやアメリカと比較すると、日本の自然があまりに豊富に恵まれた状態にあり、自然の恩恵を意識せずに受けることができた長い間の日本人の習慣から来ているのかもしれない。
 さて、それではアメリカに目を移してみよう。アメリカでは国策として自然保護を採用しているが、国が自然保護に力を入れるのは単に「御上」の気まぐれや先見の明からではなく、それが住民各個の要求に根ざしているのである。初期のアメリカにおいては木を切り、動物を捕殺することがアメリカ人の利益となっていたが、前節の五で見たように、革新主義の時代に個人の利益を守るために自然保護を要求するように変化した。それ以来今日までアメリカ市民は、政治が自分たちの利益を守ってくれているかどうかを絶えず見守ってきている。それはあのタウン・ミーティング(本性第一節四のA)の伝統からきているとも言えるし、また、直接的意識としては、鉛筆一本買っても目の前で税金を引かれるという制度から、自分たちが政治に参加しているという意識をもつことになり、この税金で自分たちの村を流れる川をきれいにするのは国の(または地方自治体の)義務であると考えているので、それが満足されない場合にはたちまち市民運動となり政治が動かざるを得ないことになるのである。アメリカの政治はアメリカ人の利益を代弁する一つの技術であるというアメリカ民主主義の理念が自然保護に関してもはっきりあらわれているわけである。
 自然保護の形の上で根本的相違は、日本の「御上」の政治とアメリカの自分たちの行う(または監視下に行われる)政治とに象徴的に表されるのである。
 
 アメリカの自然保護の特徴の一つにあげられるのは、自然保護に関する研究に対する援助と教育制度の充実である。
 例えば小・中・高等学校における自然保護教育は、自然と自然観の養成を中心にして行われる。それも低学年から高学年にかけて、郷土の自然、社会の理解から、州、国、国際的な理解へと拡大される。現在では、ウイスコンシン、モンタナ、テネシー、フロリダの四州では小・中・高校において自然保護の教育を行われたしという規定があり、残りのうち24州では自然保護教育のガイドブックが出されている。多くは生物、自然科学概論、地理・歴史・行政・経済・農業などの学課目の中で教えられる。
 大学における自然保護教育には大学や大学院学生に対する教育の他に、夏期講座や公開講座の形で、小・中・高等学校の教師に対する再教育が行われている。中でもミシガン大学の自然保護学科が最も充実していて、学部、修士、博士課程が置かれ、自然保護専門の教師や研究者の養成の他に、現職教師の再教育のための夏期講座やキャンプを公開している。それには自然資源の保護管理、一般自然保護教育のコースが設けられている。自然保護あるいは自然保護教育の学部、修士、博士課程を併せもつ大学にはミシガン大学の他にミシガン州立大学、オハイオ大学があり、修士課程だけもつものにはバージュ大学がある。
 また、アメリカの自然保護教育において以上のような学校教育の他に民間団体の果たす役割も非常に大きく、主な団体としてオーデュボン協会、シエラクラブ、アイザックウオルトン連盟、国立公園協会などがある。
 
 日本と大きく異なり注目すべきものはアメリカの野生生物保護区とか国立公園の意味である。日本の国立公園などは観光の一環としてとらえられているが、アメリカの場合は、絶滅に瀕した動物などを救うと同時にそれが人間のための場の提供として役立てられているのであり、国立公園などは、“野生”のもつ意味を充分に考え、生きた自然の教室として利用している。国立公園の利用者はナチュラリストの案内や講演を受けることができ、また時々、そうしたナチュラリストの再教育も国立公園が行っている。また、日本においては政治に携わる人達に自然保護について教育する機関は皆無であるが、アメリカではConservation Schoolというものがあり、政府や州の役人が教育を受ける場を与えている。そうした科学的研究が積極的に行われているので、政治の場にそれを持ち込むことができ、例えば新しい町をつくるような場合にまずその規模にあった下水処理施設などを建設することが可能になるのである。
 このように組織だった自然保護教育を統一的制度として実施しているのは、アメリカが最も進んでいるのではなかろうか。教育の場が確保され、研究の援助も行われるという現状を背景にアメリカの自然保護はさらに充実していくのである。わが国は研究・教育が充分行われていないので国民の意識も低く、その政策もその場しのぎ的なものになってしまいがちなのである。
 
 人民の利益に則った行政を行うためにアメリカでは司法面も日本とは異なり上から(公の立場から)告発していくという形を多くとっている。
 例えば1970年2月9日司法省はシカゴ地区の洗剤メーカーなどの大企業11社と個人1人を河川汚染容疑で告発し、2月18日には水質汚染容疑でUSスチールなど大手企業10社を告発。同月27日にはニューヨーク州司法長官がケネディ空港乗り入れの日航など外国航空会社11社を大気汚染容疑で同州最高裁に告発等々例をあげればきりがないほどである。また、1970年7月28日には、ミシガン州において、「州民は誰でも汚染源を告発することができ、因果関係がないという立証を被告となった企業などが行わない限り有罪とする」という内容の公害訴訟に関する新州法が出されるなどかなり強い立法も行われている。
 しかしながら、アメリカの自然保護政策は以上のような数ある長所にもかかわらず、特に汚染問題に関しては対症療法的になっているのが現実である。
 
 ヨーロッパの諸国を見ると、例えば大気汚染規制などもわが国やアメリカなどと比較するとかなり荒っぽく、個別の対象に対する規制は甘いと考えられるほどであるが、ヨーロッパの場合、いわゆる「PPM手法」による公害対策だけでなく、むしろそれら個々の問題も含めた生活環境全体の保全が行われていて、人間の生存環境も含めた広い意味で総括的に自然の保護が行われている。
 アメリカにおいては公害の直接対策として計量的個別的に規制がなされているが、総合的な人間の生存環境の保証のために新しい人間環境を創造していくという面で具体的施策に欠けているのである。それは一面では合理的に自然を利用するという点に力がかけられ、ヨーロッパのように広く一般的自然の復元という面にはそれ程力がかけられていないからではないだろうか。
 わが国の場合は日本という国独自の歴史的伝統などをもっているにもかかわらず、保護の大原則がないために、諸外国の政策を参考に対症療法的規制がなされているにすぎない。特に最近のひどい汚染に対しては、世界にも例がないので、独自の方法を講ずる必要に迫られているが、どうも政治における保護への認識が低いように思われてならない。
 
 自然保護というものは、何度も述べているように、その土地での宗教的習慣、風土的条件など様々な要素により影響を受ける。民族や歴史が異なるならばその自然保護も異なってくるのである。大きく分けて西欧的、アジア的と分類してもその中でヨーロッパにはヨーロッパ流の自然保護理念に基づいた政策が行われるが、ヨーロッパでもラテン系とゲルマン系とではかなり異なるものをもっている。であるから、アメリカのもつアメリカ独自の諸要因およびアメリカが今日までに作り上げてきた自国の歴史から生まれているアメリカの自然保護はアメリカだけのものであり、今後も他の国でアメリカの自然保護と同様の形態で同様の施策が行われることはない。
 けれども自然保護が将来の人類の精神的、物質的(天然資源)供給に役立ち、人間環境および人類の存続を志向するためにあるのだとしたならば、今後の国際社会においていわゆる「宇宙船地球号」を管理していくためには国際社会の単位で大きな「自然保護主義」といったものを考える必要があるであろう。そうした場合、地球上の各地域において、別個の理念、価値判断によって汚染の対症療法的な自然保護を行うということは、今後の国際化していく自然保護主義には不都合なことになるのではないだろうか。
 
目次に戻る
続けて読む場合は、右矢印をクリックしてください。