(昭和47年12月執筆) アメリカの自然保護、
第三章 アメリカの自然保護の独自性
第一節 アメリカの自然保護の独自性を形成する諸要因
五、ポピュリズム、プログレッシヴィズムの運動の時代


 

 
五、ポピュリズム、プログレッシヴィズムの
運動の時代

  アメリカ史における自然保護は、ポピュリストとプログレッシヴィズムの運動が盛んな時期に最初の盛り上がりを見せ、「自然保護のあけぼの」の時代をつくったことは第二章第二節で詳しく見たが、これら政治の改革運動がどのような影響を直截的に自然保護に与えたのであろうか。
 南北戦争後における工業化の飛躍的な発展は、やがて巨大な独占企業を生み出し、自由競争の原則は次第に空文化されていった。それは小企業、都市の労働者、農民の反感をかった。特に農民は、工業化の発展による経済の繁栄にもかかわらず、農産物の輸出に農業の依存する割合が多く、農産物の国際価格が低下するたびに不況に陥るというように経済的に不利な立場におかれることになった。こうして窮乏に悩んでいた農民は、まず独占企業の中でも農産物輸送の必要上、農民と密接な関係をもっていた鉄道会社の規制を政府に要求した。
 グレンジャー運動に始まるポピュリズムの運動は1852年に人民党が結成されることにより頂点に達し、政府資金の低利貸付、銀の自由鋳造、累進所得税の採用、鉄道・電信・電話の公有公営などを要求した。これに続くプログレッシヴィズムの時代も含めて彼らの運動は、自由競争を通じてより豊かになろうとする彼らの努力が独占企業の出現によって妨げられていることに対する反撃であったので、政府の経済的領域への介入の要求も自由競争の原則を保持するために、自由競争の公正な実現を妨げている障害を政府の規制によって除去していくことを求めるものであったと言って良い。
 要するに、あえて政府の介入を求めて、一見自由主義と対立するように見えるのだが、まさに、真の自由を獲得するための戦いであったと言うことができる。真の自由とは、自由放任の自由でなく、責任を果たさない個人主義の延長でもない。個人は自己の権利を考える前に権利の反面をなす社会への義務や責任を考えなくてはならないと考えるようになったからなのである。
 多数の人々の福祉を確保するために、全国民を代表するところの国家が国民生活の各方面に介入することを要求するというように、この時代にはアメリカ社会の良心が強く目覚め、社会的悪は批判されていった。このような革新主義の社会情勢は、当然自然保護の面にもよい影響を与えた。進歩党は独占を禁止または制限して国民の手に残っているアメリカの天然資源をその子孫のために温存しなければならぬという主張を人民党から受け継いでいた。国民共通の財産である天然資源も一部の個人的利益のために消費されるのは不都合であると考えられ自然の濫獲を防止するためには政府があらゆる積極的介入を尽くし、それを確保しなければならず、そうしてはじめて国民が真の共通の財産である自然をもつことができると考えたのであった。
 この姿勢は、それまで自分たちの思うままに木を切り倒し、動物を捕殺していた習慣をストップさせることを自ら進んで同意していくという結果になり、自然保護の上でこの時代が画期的なものとなったのである。
 しかし、この時代のこうした革新主義的変化が自然保護に大きく作用した背景には、セオドア・ルーズヴェルトの存在がある。世論がわき上がったとしても、あれだけの(第二章第二節参照)天然資源確保ひいては自然の保護ができたのは、政治の指導者である大統領がその方面に多大の関心を持っていたからである。即ち、彼はギフォード・ピンコットからそれまでに自然の働きについていろいろと話を聞き、特に森林の働きなどに興味を持ち、その必要性を感じていたからこそ、合衆国史上最大の保護業績を上げることになったのである。
 合衆国当初の自然破壊は、特に森林において激しかったといわれるが、その最も保護の手を必要としている森林部門のエキスパートに教育され、また、彼を森林局長に指名することによって森林資源の危機を乗り越えることができたのであった。
 これまでアメリカの大統領で力を入れた大統領はセオドア・ルーズヴェルト、フランクリン・ルーズヴェルト、ケネディがあげられるが(業績については註参照)、自然破壊がそれまで当然の習慣とされてきた時代において微妙なアメリカ人の心の変化、革新主義の運動など社会の変化に応ずることができるだけの政治指導者がいなかったならば、この時代が「自然保護のあけぼの」たる時代とはなりえなかったであろう。後の政治指導者も右記数人以外は、セオドア・ルーズヴェルトより以上の関心を自然および天然資源に向けることはなく、必要最低限の保存を維持するだけであった。社会の革新主義的風潮の高まり、即ち今日のアメリカの民主主義の原型の形成期を巧みに利用して、Conservationの概念を確立したことは、セオドア・ルーズヴェルトならではの業績ではなかっただろうか。
 
<註>
セオドア・ルーズヴェルト、フランクリン・ルーズヴェルトおよびケネディ大統領の自然保護関係政策のまとめ
  1. セオドア・ルーズヴェルト大統領
    1. 土地荒廃の著しかった西部17州の河川について、その管理と開発を連邦政府の仕事として、その回復と合理的な開発に乗り出したこと。  
    2. 動物保護区の設置、森林保護区の増設をはじめ、資源開発の長期構想を立てたこと。  
    3. 1906年に国家記念物法を制定し、史跡や自然の保護を進めたこと。
    4. 1908年自然保護ホワイトハウス会議を招集したこと。この会議において天然資源の管理、開発の計画は科学的基礎に立つこと。そのための専門家を必要とすること。あらゆる計画は長期の構想と国家的な統一性が必要であることなどが論ぜられている。
  2. フランクリン・ルーズヴェルト大統領
    1. 大恐慌の時代、失業者による植林事業とともに、土壌保全局の創設、TVA等の事業を進めたこと。  
    2. 野生動物管理事業の推進、国立レクリエーション地域の創設などを進めたこと。
  3. ケネディ大統領
    1. 急増したレクリエーションの需要に対して原始境やその他の自然地域を保護し、これに供しようとした。(死後立法化される)
    2. 資源の永続的活用を目標とし、全国的規模で調査と政策の計画を図った。
    3. 都市に於ける環境保全の問題。
     

 
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