(昭和47年12月執筆)アメリカの自然保護、
第三章 アメリカの自然保護の独自性、
第一節 アメリカの自然保護の独自性を形成する諸要因
一、フロンティアとニューフロンティア


 

 
第一節 アメリカの自然保護の独自性を
形成する諸要因
一、フロンティアとニューフロンティア

  アメリカの自然保護を知る際に最初にふれなくてはならない、しかも最も重要な要件はアメリカにおけるかつてのフロンティアの存在であると言うことができる。フロンティアあっての今日のアメリカであり、アメリカ人であると思うのである。
 移民がヨーロッパ大陸から渡ってきたときに彼らを待っていたのは厳しい自然と広大な大陸と無尽蔵に貯えられた天然資源であった。自然の猛威の前には、ほんの小さな存在にすぎなかった移民達は、しかしながら、無限の天然資源すなわち無限の(開拓)エネルギーをもっていたのであった。このフロンティアの与えるエネルギーは単に物理的な原動力となるエネルギーのみならず人々の心の中の心理的な部分を常に動かすことのできる精神的原動力のエネルギーでもあった。このダイナミックな精神的エネルギーは不安定ではあったが未来を指向する柔軟なものであり、アメリカの民主主義精神を支えるものであった。
 当初の移民は生きることに専念するのがやっとであった。雨風を避け、自分たちの食糧を得るために細々と耕し狩りをした。そして、ある程度生活の基盤が固まってくると、無限の自然から無限のエネルギーを吸収して開拓をすすめていった。大草原であったところも白人が入ることによって生態系をことごとく破壊してしまったために土壌の浸食が起こり、荒涼とした大砂漠へと変化していった。材木となる木々は勿論、毛皮食肉のために野生動物が、羽根飾りや食用のために鳥類が、手当たり次第に濫獲されていった。自然と闘い獣を殺さなければ自分がやられるので、また耕した畑を荒らしに来る鳥獣を追い払う意味で銃を使っていたのが、いつの間にか人間が強くなり、自然に脅かされる心配が無くなってしまっても昔からの習慣で、自然を敵と考えざるを得なかったのであろうか。濫獲に濫獲を重ねてそれに気がついたのは最早とるべきものが見つからない状態になったときであった。そして、ちょうどその頃、広大で無限と思われていた大陸からフロンティアが無くなったことが明らかになったのであった。人々はそこで、これまでの無限の開拓エネルギー源にも底があることを知った。フロンティアが消滅することによりエネルギー源は有限であると認識しなければならなくなった。
 この時点で“強敵”であった自然は消滅し、人間と利害関係を持った自然が台頭するのである。それは、アメリカ人の中におこってきた「開拓のエネルギー確保」の欲求が天然資源の確保へと彼らを向かわせたのであった。すなわち、彼らが天然資源=自然を保護しようと考えたのはその天然資源をもって自分たちのエネルギーとするためであって、使わんがための確保であった。アメリカにおいて自然保護というと天然資源保護=Conservationをまず念頭に浮かべなければならないが、このConservationの考え方はフロンティアの存在から発生し[苛酷な自然に対してはそれまでの常識・知識が通用せず、臨機応変の処置が必要であり、それによって実践的なアメリカの実用主義・合理主義の基礎が形づくられることになったが、Conservationもこうした背景のもとに、すなわち、フロンティアが存在したから成立し得たと考えることができる]しかもそのフロンティアが有限であるとわかった時点で発生してきたと考えることができるのも、この考え方が生産して消費するということを基礎にしているからである。消費を目的として自然(エネルギー源)を“生産”するのがConservationである。
 さて、そのように天然資源の確保---山岳地帯では土壌が崩壊しないようにしたり、植林を行ったり、飲料水のための水源を確保したり、荒れ地を耕作して畑地にしたり---が一応軌道にのってくると、それまでに消費したエネルギーも徐々に蓄積され、アメリカ国民の間に新しい開拓への衝動がおこってくる。
 そしてそれと同時に、ジェファーソン的な農本主義を基礎とする理想的アメリカの建設の夢は次第に新しい夢---工業中心、都市化を理想とする新しいアメリカ建設への夢にとってかわられることになった。アメリカ人の新しい開拓の衝動がこの新しい夢に突き進みはじめるのは、1930年代の恐慌、第二次世界大戦と相次ぐ抑止力から解放されて、徐々に国内も安定しだした戦後のことである。
 貯えられたエネルギーは少しずつ、科学技術の発展、都市化、工業化のために消費され、1961年ケネディ大統領によりアメリカの良き伝統を継承し、新しいフロンティアを開拓しようという精神を基盤としているニューフロンティア政策が打ち出されると西方世界の結束の強化、国防体制の強化、低開発国援助、ソ連との緊張緩和などといった具体的政策を裏付けるのに科学技術の分野を通してアメリカ人のエネルギーが爆発した。科学技術、都市化、工業化が新しいフロンティアとして政治的にはっきりとした方向を与えたからである。(ケネディ大統領は科学技術の発展にのみ目を向けていたのではなかった。現に「自然環境の保護は新しいフロンティアである」との態度もとり、自然保護にもかなりの力を注いだが、無統制な技術を点検しようという姿勢に欠けていたため、技術の先走りがおこってしまった。)技術の発展は、最終的にはNASAによるアポロ計画の成功によりクライマックスを迎えたが、いわばこれはニューフロンティアの限界でもあった。無限に発展する可能性のある技術の分野も、アポロ宇宙船が月に到達することにより行くところまでいったという感情と、次第に身辺を浸してくる環境汚染という技術の盲点とが混ざり合って、まるでかつてフロンティアが消滅したと宣言されたときと同じように、人々は価値観の大転換をせまられているのである。
 ニクソン大統領は議会にテクノロジーアセスメントについての教書を送り、ニューフロンティアの時代は終わるのである。アメリカはこれから何らかの方法により再びエネルギーを貯え、それをまた何か新しいフロンティアに向けて発散させるであろう。アメリカ人はかつて荒野のフロンティアと技術のフロンティアと二度にわたってエネルギーの爆発を示した。アメリカ人は「フロンティア」を求める国民であり、そのフロンティアに対するエネルギーは、かつてはフロンティア自身から吸収することのできた無尽蔵の天然エネルギーであったが、次には自ら自然資源を生産保存し、エネルギーを貯蓄する方法をとった。
 ケネディ大統領が1961年に「天然資源は国力の基礎となるものであって、自然の美と富の保護は異例の緊急な対策を必要とする」と指摘しているように今後もアメリカ人のエネルギー源として自然資源を確保するために何らかの技術的な工夫をしてより豊かな資源を保存していくと思われる。“フロンティア”はアメリカを最もアメリカらしくしているものだからである。
 アメリカが、清教徒の渡ってきたときから無毛の荒れ果てた、厳しい自然だけをもっている無味乾燥の土地で何の利用価値のある天然資源も無かったとしたなら、要するに“フロンティア”となりうる荒野が無かったならば今日のアメリカの自然観は当然なかったであろうし、Conservationの概念も出てこなかったか、質をことにしていたであろう。
<註>
 1972年国連人間環境会議のために提出されたアメリカのナショナルレポートによると、次のように述べられている。「アメリカは以前無尽蔵の土地と資源に恵まれていると考えられていた。自然を征服するべき敵と見なしていた開拓者の姿勢は今日でもアメリカ人の人生観の一部として残っている。この開拓者精神より、資源を節約し、自然の恵みを守り、修復しようという関心の方が勝ってきたのは最近のことである」
 この文は、アメリカ人が書いたものとしては、いささか奇妙な感じで受けとらざるを得ない。なぜなら、私はアメリカ人の「自然の恵みを守り、修復しようという関心」が出てきたのは右に述べたように、正に「開拓者精神」そのものからであると考えるので、政府のレポートでこの二者を相反するもののようにとりあげているのはおかしいと思うからである。
 しかし、少し視点をずらしてアメリカ人の特質を考えるならば、このような文を書くということ即ち、アメリカ人の物理的精神的エネルギー源として欠くことのできなかったフロンティア(スピリット)をこのように卑下しなければならなくなったのは、後の項で述べるピューリタニズムのモラリスティックな過熱の影響が多く作用しているからであると考えることもできると思う。
 [残念ながら、このナショナルレポートの原文にあたることができず巻末の参考文献にあげた訳本からだけの判断であるので、正確な判断は原文を読んでから下すべきであるのかもしれない。]

 
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