(昭和47年12月執筆)アメリカの自然保護、
第一章 欧米的自然観と日本的自然観、第二節 ヨーロッパとアメリカ


 

 
第二節 ヨーロッパとアメリカ

  アメリカ人は、ヨーロッパからの伝統を受け継いでアメリカ大陸に移住した人々の系統が主流となっているので、勿論、これまでやや詳しく述べてきたヨーロッパ人と日本人の自然観の中のヨーロッパ人的生活様式の基礎をもちあわせ、宗教面でもそれほど大きな相違はないので、ほぼヨーロッパ的と見ることもできるが、自然に対する考え方はいくらか違う点がある。
 17世紀にアメリカ大陸に移住した人達は衣食住の資源はすべて天然にあるものに依存していた。移住した当時は、アメリカの自然は質量共に豊富で、「搾取的な消費に耐えられる状態」にあったが、時間の経過とともに、「搾取」は烈しくなり、当然の結果として資源は枯渇していった。
 キャロル・クィグレイはこのアメリカ人の「自然搾取」を次のように分析している。
 移住してきた人々は性格的に、または、少なくとも社会的により孤立した状態にあったので、彼らは精神的により不安定だった。このような社会的孤立と精神的不安定の結合は、アメリカ人の大きな心理的不安を生み出した。彼らは物質的な財産を山のように積み上げたり、性格のあいまいな社会的グループの中に自己を埋没させたり、地位の違いを学問上の学位制を含めて、象徴的な方法によって区別したりすることでこの心理的な不安を鎮めようとした。そして、このような要素がすべて自然の略奪を当然なことと見なす考え方を強化しているというのである。
 その上、移民達が以前に住んでいたヨーロッパは生産の為の経済的要素が比較的不足しているところであった。一般に移民達が後にしてきたところでは労働力は供給過剰で安く買いたたかれるのに、土地や資源は供給不足で高価なものであった。そういう条件のもとでは、経済過程は労働力の浪費を土地や資源の倹約という傾向に向かうものだが、アメリカにおいては全く逆であった。すなわち、労働力は不足で高くつくが大陸には無尽蔵の土地と資源があった。従って、アメリカの経済過程は労働力の倹約に対して、土地や資源の浪費という傾向に向かった。
 こうした独特なアメリカの状況のもとで、最近ではアメリカ人達も資源の枯渇に気づき、自然を天然資源的な見方でとらえ、保存しつつ、また、増やしつつ利用していくという、アメリカ独特の考え方が生まれてきた。結局全てを含めた自然を天然資源と見なし、その増殖の根源は温存しつつ、生産されてくる余剰分を利用していく、いわゆるconservationの考え方が発生し、これがアメリカ自然保護の根源をなしているのである。
 
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